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創世記と人類悪(ビースト)の理、原罪について考察

 最近fgoでビーストⅣやらACでビーストⅥやら人類悪についての供給が多くなってきましたね。そんな訳で自分も久々に人類悪についての考察をしてみました。

1.創世記と原罪・理の関係

 有名な考察で、原罪(ビーストⅠのプロフィール等で出てくるナンバリングされたもの)が創世記と関わりがあるんじゃないかとする説があります。*1 原罪のⅡが楽園を去った悪(創世記の失楽園)であることを考えれば、順当にいけば「原罪は創世記の内容順にナンバリングされる」というのは妥当かなと思います。 f:id:rdpg:20211231041127j:plain  ここで重要なことが二つあります。
それは、「創世記の内容から原罪とは何かをどう解釈すれば良いか」「原罪とビーストの理との関係は何か」です。
 まず前者の「創世記の内容から原罪とは何かをどう解釈すれば良いか」について。他の人の考察を見ていると、7つある原罪に対応させてまずは創世記を以下の7エピソードに分けることが多いみたいです。

Ⅰ:知恵の樹の実
Ⅱ:失楽園
Ⅲ:アダムとイブの生殖
Ⅳ:カインとアベル
Ⅴ:ノアの方舟
Ⅵ:バベルの塔
Ⅶ:アブラハムとイサク

 ただ、ここから単純に「型月世界では創世記のエピソードが起きており、過去アダムやイブ等が犯した行為が原罪である」と解釈する人は少ないでしょう。それは当然で、もし創世記の登場人物が犯した行為が原罪であるなら、ビーストも創世記関連の何かでないとおかしいからです。例えば、原罪のⅡは「■から離れ、楽園を去った罪」ですが、創世記通りなら■に入るのはヤハウェのはずです。そのためこの解釈が正しいなら、一部7章はビーストⅡであるヤハウェを倒すというとんでもない話になりfgoはとっくにサービス終了していたかもしれません。しかし実際のビーストⅡは地母神であるティアマトであることから、原罪は創世記の内容そのものを指している訳ではないと考えられます。
 ではどう解釈するのが正しいか。原罪のⅡをもう一度考えると、まず「■から離れ、楽園を去った罪」というのは創世記(アダムとイブの楽園追放)をモチーフとしていることは間違いなさそうです。ただし■に入るのがヤハウェではなく地母神だったことから、原罪のⅡはアダムとイブではなく人類が犯した罪であるといえます。これらを踏まえると、原罪とは「創世記における登場人物の行為が示唆する、人類が犯した罪」であると考えられます。
 一方、後者の「原罪とビーストの理との関係は何か」について。例えば、原罪のⅡは「楽園を去った罪」であり、ビーストⅡの理は「回帰」です。ここから推測するに、ビーストの理とは「原罪(に認定された人類の行為)の否定」になるかと思います。この場合は、「楽園を去ったこと」に対して「回帰」を求めるという否定の関係になります。要するに、原罪の原因となる行為と相反する概念・同時に成立しない概念などが理になるということです。
 一見単純ですが、以上を明確にしておくとかなり分かりやすくなります。つまり、原罪は創世記の内容が示唆する人類の行為を示し、理はその否定である。この法則を前提にしてみると、今判明している情報からある程度残りの原罪や理を推測していくことができます。

2.各ビーストの原罪・理

 各ビーストについて、原罪と理を推測していきます。ただ理については判明しているものも多いので、基本的には原罪が何かという話になります。また、両方が判明しているものについては先に提唱した法則(理が原罪の否定)が成り立っているか見ていきます。

・ビーストⅡ

 順番は前後しますが、まず1番分かりやすいビーストⅡからいきましょう。原罪のⅡが楽園を去ったことであり、ビーストⅡの理が「回帰」です。先に説明しましたが原罪ー理の否定の関係を一言で表すと「楽園を去る人類に回帰を求める」という形になります。

・ビーストⅠ

f:id:rdpg:20211231060339j:plain  原罪のⅠがソロモンの第三宝であり、ビーストⅠの理は「憐憫」です。
難しいのは原罪の方で、自分が最初に考えた原罪の定義からすれば創世記でアダムとイブが知恵の樹の実を食べたことを人類主語の何かしらの行為として解釈したものになるはずですが……。一旦創世記の解釈は置いておくとして。光帯は人類史全てを熱量に変換したものであることを考えれば、「人類史の全て」もしくは「人類の行為全て」が原罪のⅠであるとも取れないでしょうか。多少強引ですが、そうすると「人類の行為全てを無意味として憐憫する」となり、原罪–理の否定関係は成立していると見ることができます。

・ビーストⅢ

 次にビーストⅢについてです。ビーストⅢの理は「快楽」と分かっているので、ここでは原罪のⅢが何かを見ていきましょう。
創世記ではアダムとイブの生殖にあたるならば、原罪のⅢは姦淫か何かだと思いがちですが恐らく違います。なぜなら原罪はビーストの理により否定されるものであるということを前提にすれば、ビーストⅢの理である「快楽」によって否定されない姦淫は原罪になり得ないからです。そこで創世記でアダムとイブが愛し合っていたという事に焦点を移して、人を愛することが原罪のⅢだと考えると辻褄が合います。
ビーストⅢのプロフィールを見ると分かりますが、「愛を快楽にする」というド直球で原罪-理の否定関係が示されているからです。 f:id:rdpg:20211231135843j:plain ちなみにカーマの方も「愛を奪う」という形で原罪を否定する性質を持っていますね。 f:id:rdpg:20211231143627j:plain

・ビーストⅣ

 ビーストⅣの理は「比較」と分かっているので原罪のⅣを考えます。
創世記ではカインによるアベルの殺人、これを素直に解釈するなら人を殺すことが原罪のⅣになります。ただ個人的にはそれではなく、人と争うことが原罪のⅣになるのではないかと考えています。これはビーストⅣの持つ「相手より強くなる」という性質から推測したものです。
f:id:rdpg:20211231151814j:plain 他のビーストの例で考えると、ビーストはどうも原罪を否定する理を持ち、また原罪を否定する性質を持つような気がするんですよね。例えばビーストⅢなら、愛を快楽に変えてしまうことでなくしたり、逆に愛を無限に与えることで愛の概念を消し去ったりという性質を持っています。
 そうすると、ビーストⅣの「相手より強くなる」という性質により否定されているものが原罪であると推測できないでしょうか。戦闘において一方が明確にもう一方より強い時、それは争いではなく単なる殺戮になります。*2さらに、ビーストⅣは人間同士の競争や成長を糧とし相手より強くなるため、そこで争いの中で得られる経験や成長という正の要素は無意味になってしまいます。*3つまり、この「相手より強くなる」という性質は、争うという行為が完全に否定されるような能力であると言えます。以上のことから、人と争うことが原罪のⅣではないかと考えました。
 ただ、原罪のⅣと「比較」の理の関係で、比較がどう争いを否定しているのかという疑問はあります。比較の理はマテリアルにて「己と他人を比べる心。果てのない計り。虚栄心。」とされています。個人的には、争いは直接的に優劣を決める行為であるのに対し、比較は単なるスペックのみで価値を計る行為であり、そのため否定の関係にあると考えてます。*4原罪-理の否定関係を一言で言うなら「争いもせずに価値を比較する」という形になるのかなという感じです。
 補足ですが、最近追加されたビーストⅣ(コヤンスカヤ)のプロフィールで、ビーストⅣは「自然」「動物」をキーワードにした人類悪であることが明かされました。個人的にこの2つから思いつくのが、動物達の住む自然が「弱肉強食」の世界であるということです。食物連鎖の中で、生まれてから死ぬまで捕食者と被捕食者の関係、つまりは強者と弱者の関係は変わりません。そう考えると、自然とは一方的な狩りはあっても争いは生まれない世界だといえます。しかし人間の社会では、extraでピースマンが語ったように「最も弱きものが、最も強きものに挑む」ということが有り得る。そして争いの中で得た経験や成長によって強者を打破する事さえ有り得ます。それに対し、ビーストⅣの「相手より強くなる」という性質はこの成長を糧としてその分だけ強くなってしまうのでこういったジャイアントキリングの可能性を一切なくしてしまいます。つまり、強制的に自然界の弱肉強食の掟(元々強いものが結局強い)を適用してしまう能力だということができるかもしれません。

・ビーストⅤ

 ビーストⅤについては、原罪も理も分かっていません。
ただ創世記ではここはノアの方舟に対応するところになります。ノアの方舟のエピソードで罪になりそうな所は普通に考えるとあまりないのですが、洪水はそもそも堕落した人間への罰なのでそれを逃れたこと自体が罪と考えることはできそうです。
 なのでここから解釈すると、報いから逃れることが原罪のⅤなのではないかと考えられます。もしくは罪や負債を清算しないことと言っても良いかもしれません。そのため、この原罪を否定するビーストⅤの理は、「報いを受けさせること」「因果応報」などといった性質のものだと推測できます。
 ちなみにここまで考察した後にアンリマユが人類悪になったらその理は「報復」になることを知りました。原罪のⅤが報いから逃れることだとしたら、報復という理はそれを否定できているので人類悪アンリマユがビーストⅤの可能性アリです。といっても、もはや人類悪アンリマユがビーストⅤだなんて消去法で簡単に言えることではあるので、これはむしろ原罪に関する今回の推測が割と当たっている根拠といえるのはないでしょうか。原罪-理の否定関係を一言で表すと、「報いから逃れるものに報復する」という感じで綺麗にまとまります。 f:id:rdpg:20211231170954j:plain

・ビーストⅥ

 ビーストⅥも原罪も理も不明です。
創世記ではバベルの塔なので、繁栄することや発展することが原罪のⅥと言えるんでしょうか。そしてビーストⅥの理はその否定なので、まず考えつくのは衰退とかですかね。ただ、型月では全てのものには終わりがある的な、盛者必衰的な思想が見受けられるので繁栄と衰退はセットみたいなイメージがあります。 そうすると衰退は単なる繁栄の結果であって否定するものではない気がしますね。 なので繁栄することが原罪のⅥであると仮定するなら、ビーストⅥの理はもっと根本的に繁栄を否定するものになりそうです。
 ここまで考えて、そもそも単純に繁栄することが原罪で良いのかなという疑問も出てきました。バベルの塔は空想的で実現不可能な計画の比喩として用いられることもあり、そう考えるのなら夢を見ること・願いを叶えようとすることが原罪のⅥって方がしっくりきますね。ビーストⅥは願望器である聖杯の真なる所有者を自称しています。これだとビーストⅥの持つ性質が原罪を否定するものになっていないように思えるんですが、愛を快楽にするビーストⅢと同じで夢や願いを何か歪んだものにしてしまう性質を持つことは十分考えられます。そもそも持ってる聖杯からして汚染されてる感が半端ないですからね。 f:id:rdpg:20220108203234j:plain

・ビーストⅦ

 ビーストⅦも原罪・理ともに不明です。考察材料がなさすぎるのでパスします。

3.まとめ

今回の内容をまとめると以下のようになります。

・原罪とは「創世記における登場人物の行為が示唆する、人類が犯した罪」である
・ビーストの理とは「原罪(に認定された人類の行為)の否定」である

No. 創世記の内容 原罪
人類の行為全て 憐憫
失楽園 楽園を去ったこと 回帰
アダムとイブ 人を愛すること 快楽
カインとアベル 人と争うこと 比較
ノアの方舟 報いから逃れること 報復
バベルの塔 願いを叶えようとすること

*1:この説については、自分はこの方の動画で初めて見ました→https://www.youtube.com/watch?v=OHNtQMnd-Xs

*2:プライミッツマーダーが霊長に対する絶対的な殺害権利を持つという性質もここに関係している?

*3:争いの中で得られる成長というのはextraでピースマンが語っている内容です。ピースマンは争いにおける正の側面を重視していましたが、ビーストⅣはそれすら否定しているのではないかと考えられます。

*4:言葉遊びですが、争いによって勝ちを決めるのではなく比較によって価値を決めてしまうみたいな。終局特異点ゲーティアの「お前の価値(勝ち)を私の手で焼却する」というセリフもあるので、価値は勝敗によって決められるべきという思想がある気がします。