人生ログボ勢

暮らしをゲーミファイ

モチーフの繋がりから考えるエヴァンゲリオン

シンエヴァンゲリオン見てきた。 いい機会なのでこれまで自分がエヴァについて考えてきたことを(主にテーマ面について)まとめてみたいと思う。

f:id:rdpg:20210321213417j:plain

1. エヴァのテーマとは?

これまで多くの人がエヴァのテーマについて論じてきた。しかし、自分が見た範囲ではその答えは人によって三者三様である。理由はおそらく、エヴァという物語に含まれるモチーフがあまりに多いためだと思われる。(運命とか交換可能性とか罪とかいった、それをテーマにするだけで一つお話を作れそうな概念のことを勝手にモチーフと呼んでいる。)モチーフが多ければ、どこに重点を置くかで物語の受け取り方が変わるのもまあ当然だろう。そこで今回は、これらのモチーフ単体について語るのではなく、モチーフ同士がどういった繋がりを持つのか、どう派生しているのかについて簡単に考えてみたい。

そうは言っても、まずは取っ掛かりを見つけなければ何の話もできない。取っ掛かりとしては、繋がっているモチーフの根の部分を取り上げるのが適切だ。エヴァは、結論ありきではなく、監督・庵野秀明自身が問題に対する答えを探す過程を物語にしたものだ(多分)。ならば、まずはその問題の概要を掴むことが作品理解のための一歩目になるだろう。

2. 承認をめぐる問題

エヴァにおける問題の概要を掴むことは、おそらくそんなに難しくない。主人公であるシンジの抱える問題を抽象化して考えるだけで済むからだ。シンジの抱える問題は父ゲンドウとの関係である。シンジは、これまで彼を全く顧みてこなかったゲンドウに急に呼び出され、エヴァに乗ることを強要される。「エヴァに乗れ。でなければ帰れ」というやつだ。そして、父に自分の存在を認めてもらうため、自身の居場所を確保するために不本意ながらもエヴァに乗ることを選択する。

この問題を抽象化して考えた時、これは私たちにとって極めて普遍的な問題を扱っているのだということが分かる。というのも、シンジのように「他人の言うことには大人しく従う」ことをせず、自分のやりたいことだけをして生きているという人はどれだけいるだろうか?ほとんどの人が、少なからず自分のやりたいことや事情を我慢して、他人のために行動しているはずだ。最も代表的なものでは仕事がその一つである。私たちが働くのは、それを要求する他者の集合体である社会から承認してもらうためだ。シンジと同じように、社会において自身の存在を認めてもらい、居場所を確保するために働いている*1。すなわち、私たちにとっては社会の要求に従うことが唯一のレゾンデートル(存在理由)であり、「ここにいてもいい」ことの証明なのだ。またこの構造を再びエヴァに当てはめれば、ゲンドウが社会や世間といったもののメタファーであることは明らかである*2

庵野 あれも本当の父親なのかって思いますね。まあ、父親という血のつながった親子じゃなくって、もうちょっと世間とかシステムの代表だと思う。だから、ああいう顔なんです。
竹熊 ゲンドウは世間の枠や圧力そのものなんだ。
庵野 そうかもしれない。世間そのものかもしれない。
—————引用元 庵野秀明 スキゾ・エヴァンゲリオン

3. 運命と意思の二律背反

私たちは社会に要求されるままに行動しなければ、自身の存在理由を示すことができない。しかしその場合、私たちの意思はどうなってしまうのか?自身の意思が反映されず、社会に要求された行動しか取ることができないのであれば、自らの運命はあらかじめ決まっているようなものだ。エヴァの序盤では、主にこのジレンマに焦点を当てている。

シンジ「……別に。どうでもよくなりました。何もかも。僕に自由なんてないんだ。 どうせ僕はエヴァに乗るしかないんですよね。そのためだけに父さんに呼ばれたんだから。 いいですよ。乗りますよ。それでみんながいいんだったら、僕はいいですよ」
—————引用元 ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序

また、社会が求めているのは私たち自身ではなく、私たちの提供する価値や役割である。つまり、「エヴァパイロット」という役割が求められているのであって、それを遂行できない者に用はないということ。逆に、その役割さえ担えるなら誰でもいいということでもある。まさしく社会の歯車という言葉の通り、社会は決められた行動を取る交換可能な部品としてしか私たちのことを認識しない。「私が死んでも変わりはいるもの」というセリフもおそらくこの交換可能性を示唆するものである。

余談だが、序におけるゲンドウとミサトのスタンスを今比較してみると面白い。やはり役割しか重視しないゲンドウと、意思を尊重するミサトというスタンスの違いがはっきり出ているからだ。ミサトはこの後ヴィレ(ドイツ語で意思)を結成することもあり、意思というモチーフに非常に関わりの深い人物である。

ゲンドウ「現時刻を持って初号機パイロットを更迭。狙撃手は零号機パイロットに担当させろ」
冬月「碇!」
ゲンドウ「使えなければ切り捨てるしかない」
ミサト「待ってください!彼は逃げずにエヴァに乗りました。自らの意思で降りない限り、彼に託すべきです!」
—————引用元 ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序

4. 他者のいない世界へ

ただ、人ははじめから上記のようなジレンマを抱えているわけではない。これまで、シンジの状況を社会で働かなくてはならない私たちの状況になぞらえて話してきた。社会で働くことは、いわば大人になるということである。当然の話だが、子どもであれば社会で働く必要はない。子どもは何の価値も役割も提供できない存在であるが、それでも母親は世話を焼き育てる。これが証明するものは無条件の承認であり、ここで認められているのはありのままの自分である。無条件というよりは「自分が自分であること」によって承認されていると言い換えてもいい。自分が自分であることが承認の条件なのだから、そこに交換可能性の生じる余地はない。そこに存在するのは自らを承認する母親だけで、社会の構成要素である他者は1人もいない。

旧劇の人類補完計画が目指していたのが、確かこういう世界だったと思う。全人類が単一の生命になることで争いのない世界を作るとかいう感じだったと思うので。

5. コピーとオリジナル ー傷ついても他者と向き合う覚悟ー

そして交換可能性の話が、おそらくコピーとオリジナルの話にもつながってくる。

庵野 僕らは結局コラージュしかできないと思うんですよ。それは仕方がない。オリジナルが存在するとしたら、僕の人生しかない。僕の人生は僕しか持っていない、それがオリジナルだから、フィルムに持っていくことが僕が作れるオリジナリティなんです。
—————引用元 庵野秀明 スキゾ・エヴァンゲリオン

「自分が自分であること」が交換可能性を否定できる唯一の可能性であった。しかし、社会は母親と違い、「自分が自分であること」を承認の条件とはしない。社会が承認するのは社会にとって価値があるものだけだ。つまり、社会において自身がオリジナルであることを証明するには他者からの否定を覚悟する必要がある。これはすなわち、傷つくことを受け入れることに他ならない。その時否定されるのは誰かのコピーではない、裸の自分自身である。

竹熊 たけしも自己言及の人ですね。
庵野 あの人も血を流している。
—————引用元 庵野秀明 スキゾ・エヴァンゲリオン

監督が血を流すと言っているのはそういうことだと考えている。つまり、全てを承認してくれる母親の元ではなく、裸の自分自身で他者に向き合っていくという覚悟なのだ。

6. 自分だけが被害者か? ー他者との関係を構成する残り半分ー

他者のいる世界で否定されて傷つこうと自分にしかできないことをする。これは立派な志だ。ただし、この段階では自身が攻撃を受けることしか考えられていない。「自分が自分であること」は、自分が傷つくことの覚悟であると同時に、自らの行為に対する責任を持つことでもある。*3つまり、自分というものの実在を確かなものにするためには、意図せず誰かを傷つけてしまったとしても、その責任を自分のものとして引き受けなければならない。ここで罪という概念がクローズアップされる。*4

ミサト「自分が嫌いなのね。だから人も傷つける。自分が傷つくより人を傷つけた方が心が痛いことを知ってるから……でも、どんな思いが待っていてもそれはあなたが自分一人で決めたことだわ。価値のあることなのよシンジ君。あなた自身のことなのよ。ごまかさずに、自分の出来ることを考え、償いは自分でやりなさい」
—————引用元 新世紀エヴァンゲリオン劇場版 第25話『Air

渚カヲルは、おそらくシンジにとっての罪の象徴となる人物である。どの作品世界においても、自分の存在のために彼を害するという事実を引き受けなければならないからだ。エヴァという作品で、一方通行ではない他者との関係を表すために渚カヲルは必要不可欠な最後のピースといえる。

7. くり返しの物語

最後に、新劇場版における庵野秀明の所信表明を引用したい。

エヴァ」はくり返しの物語です。 主人公が何度も同じ目に遭いながら、ひたすら立ち上がっていく話です。 わずかでも前に進もうとする、意思の話です。 曖昧な孤独に耐え他者に触れるのが怖くても一緒にいたいと思う、覚悟の話です。

8. まとめ

以上、できるだけ色々なモチーフを詰め込んでその繋がりについて考えてみた。もちろん拾えてないモチーフは他にも色々ある*5ので、改めてエヴァという作品の奥深さを感じる結果となった。また、ここで取り上げたのは問題周辺だけで、答えや結論にはほとんど触れられていない。ただ、問題の構造をできるだけ体系的にまとめておくことで、作者が伝えたいことの輪郭をより掴みやすくはなるのではないかと思う。余裕があったらシン・エヴァンゲリオンの方もなにかしら書いてみたいと思います。

*1:単にお金を稼ぐためだという意見もあるでしょうが、お金をもらうのも一つの承認の形といえます。また、ここで居場所と言ったのは役割とか役職とかに言い換えても良いと思います。例えばシンジであればそれは「エヴァパイロット」であること。

*2:シンジはQでマリに、「ちょっとは世間を知れ」的な事を言われてました。そこからシンでの第3村での生活&(世間の化身である)ゲンドウとの話し合いなので、「世間を知る」というのはシンでの一つポイントなんだろうなという気はしてます。ちなみに、ゲンドウだけじゃなくて使徒も世間の代表だということらしいです。この辺りは昔書いた、SSSS.GRIDMANの怪獣と同じだと思います→https://rdpg.hatenablog.com/entry/2018/12/29/055906

*3:誰かに強制されたわけではなく、自分の意思でやったということになるので。時代や環境のせいじゃなくて俺が悪いんだということですね。庵野秀明、+1000000エレンポイント!

*4:下のミサトのセリフですが、加持の「今、自分が嫌いだからといって傷つけるもんじゃない。それはただ刹那的な罰を与えて、自分をごまかしているだけだ。やめた方がいい」から来てるんだと思います。多分ですが、エヴァでは他者から与えられる「罰」と自分でする「償い」を区別してるんじゃないでしょうか。シンエヴァンゲリオンで、DSSチョーカーに関してミサトのそんなセリフがあった気がするけど思い出せない。

*5:夢と現実とか。