少女革命ウテナ感想
いろいろとひと段落したので、かねてより見たいと思っていたウテナを一気見しました。すごい良かったんですけど、それは別として全39話ってかなり長いですよね。。。
せっかくなのでちょっと思ったことを書き残しておこうと思います。
アンシーの救いとウテナの夢
順を追って説明するよりもクライマックスシーンの暁生との問答とウテナの答えを整理した方が分かりやすいと思われる。
ここで暁生がウテナに迫っているのはアンシーの救いとウテナの夢との選択。整理すると、ウテナの夢は王子様と幸せに暮らすことで、それなら自分が王子様だから叶えてあげるよと。さらに追い討ちとして、現実の非情さ、味気なさを説くことでウテナが自分の夢を取るように誘導するわけです。これを聞くとウテナがそうしない理由はどこにもないように思える。
ただウテナはここで姫宮のことを気にかけます。それに対して暁生は、彼女はずっと薔薇の花嫁のままだと。こうしてウテナから見ると、アンシーを救うか、それとも自分の夢を取るかという状況が出来上がっている。
ウテナの夢の重さ
ウテナにとってその夢は、自分自身の生きる理由であったという事実が選択の重さを際立たせている。両親を失った幼少期のウテナは生きることに絶望していた。
ウテナ:隣に棺が並んでるでしょ。お父さんとお母さん、今日死んじゃったの。でね、棺が一個余ってたの。これってきっとあたしの分なの。生きてるのって、なんか気持ち悪いよね。
冬芽:そう?
ウテナ:そう。気持ち悪いよ。どうせ死んじゃうのになんでみんな生きてるんだろう。なんで今日までそのことに気付かなかったんだろう。永遠のものなんて、あるわけないのにね。
「どうせ死んじゃうのになんでみんな生きてるんだろう」。考えてみれば確かにそうで、この台詞は生の無意味さや徒労を表すものだろう。また、そもそも人間の生が徒労であることは、愛情や友情をはじめとしたあらゆる人間の活動が徒労であることを暗示している。
ウテナは両親の死を通してこれに気づいたが、王子様に見せられた「永遠」に生きる理由を見出す。
この「永遠」を感覚的に理解するなら、御伽噺の最後にあるような「こうして王子様とお姫様は「いつまでも」幸せに暮らしましたとさ」という決まり文句だろう*1。つまり「永遠」とは辛い物語の最後に待ち受けるハッピーエンドだ*2。当然こんな話は夢物語でしかなく、現実は必ず「死んでしまいましたとさ」で終わることが運命付けられている。
しかしウテナは確かにこの夢に救われていた。今が辛くてもいつか王子様が現れて自分は報われる、生きることは徒労ではないと信じることができたのだ*3。
ウテナの選択
これを踏まえて、ウテナが選択したのは自分の夢ではなくアンシーだった。それがどういうことだか分かっているのかと問う暁生。ぼくが王子様になるってことだろと返すウテナ。崩れる王子様の像と永遠の城。
ウテナは自ら、夢を、永遠を手放した。
なぜウテナがこの選択をしたか。それは、自身でさえ忘れていた本当の記憶に手がかりがある。実は幼少期のウテナを救ったのは、王子様に見せられた夢ではなく、アンシーを見てかわいそうだと感じ、彼女の王子様になってあげたいという思いだった。
「他人のために何かをする」という行為は、美しいものだったとしても、自分が報われないのだからただの徒労だ。しかしだからこそ、それをしてあげたいという思いだけが、生という徒労をも肯定する原動力になる。なぜなら、生きること自体が本質的に自分の手に何も残らない無報酬の活動だからだ。
このときウテナは真に現実を生きることを受け入れられた。それは同時に、鳳学園という箱庭からの卒業を意味する *4 。永遠を拒んだウテナにハッピーエンドはない。あるのは彼女が学園からいなくなってしまったという結末だけ。それでも・・・
今度は、私が行くから。どこにいても、必ず見つけるから。待っててね、ウテナ
確かに、ウテナの行動は彼女自身に報いるものではなかったかもしれない。それでも、本当に何も残らなかったのかは、彼女の生き様を見た私たちの心が雄弁に物語っている。明日からは、「潔くかっこよく生きていこう」と。
まとめ
以上、かなりはしょって本筋と思われる部分の考察を試みました。御影の黒薔薇会とか暁生の世界の果てとか他にもいろいろ意味深なものはあるんですよね。
ここでは夢と現実みたいな対立項で話を進めてきたんですけど、実際には世界の果ても含めた3つの要素なんだと思ってます。夢が他人のために苦労してそれが報われるという、子供が見る世界。それに対して、現実が他人のために苦労しても報われない世界。であるなら、世界の果ては自分のために苦労してその分の利益を得るという、ビジネスライクな擦れた大人の世界。夢と現実の妥協点ともいえる。暁生は学生にこれをちらつかせて釣ってたわけですが、例えるなら「良い子にしてたらサンタさんくるよ」みたいなずるがしこい大人の欺瞞ですよね。そこで子供たちが演じる「良い子(ウテナなら王子様)」は結局は自分のためで本心ではない時点でごっこ遊びにしかならない。お返しがあることを期待した生き方は単なる対象への依存だし、それはたぶん他者との本当の関係ではないんですよね。そうじゃなく、ウテナのように他者を感化させるような、励ますような生き方が本当の繋がりといえるのかもしれない。夜道を照らす星みたいな。
まとめといいながら拡散してきたのでこの辺でやめときます。まとめると個人的には樹璃の回が好きでした。アドゥレセンス黙示録も見たいのでdアニメストアかアマプラに早く追加してくれ。