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『SSSS.GRIDMAN』考察と「怪獣」「友達」が表す関係

初めて型月ネタ以外でブログ更新しますね。

こないだ最終回を迎えたグリッドマンがめっちゃ良かったのでちょっと思ったいろいろを書きたいと思います。いつもそうですが今回も文章多くて怪文書感が強いので注意。

1.創作で求められる主人公像の変遷

この物語について話す前段階として、創作において求められる主人公像の変化について話したいと思います。型月ブログらしくまず奈須きのこの発言からこのことを考えていきます。

 『新世紀エヴァンゲリオン』に限らず、90年代後半までは色々なジャンルで行き詰った主人公が「僕は世界から見放されてるんだよ。もっと構ってよ」と主張する物語が描かれてきました。それが可能だったのは、まだバブルの残り香があって余裕を持っていたからだと思うんです。人々に、他人の傷に目を向けるだけの余裕があった。ところが2000年代に入ると、みんなが完全な個人主義になって他人の傷に構っていられなくなった。「お前はそう言うけど、俺だってツラい」という状況に陥ってしまった。そこで傷をアピールされても正直ひいてしまうんですよね。そうしたこともあって、『Fate』では本人ですら自分の傷に気づいていない男を主人公にしました。彼は凛やセイバーに指摘されないと自分が傷ついていることすら分からない。こういった形で時代が変わっていったんだろうと思います。90年代までは自分の傷をアピールする主人公、2000年代は自分の傷に気づきすらしない我々の比喩としての主人公。

 このインタビューを自分の見解を加えて要約すると以下のようになります。

これまで創作ではエヴァのシンジに代表されるような内面に傷を抱える等身大の主人公が求められていた。しかし現代において人々は他人の内情にかまっている余裕がなくなった。そこで求められる主人公は自らの内面を持たない、理想のヒーローとしての主人公。そしてその態度は現実世界の我々にも向けられているために、個人的な事情を出さず戦う主人公は現代を生きる我々の比喩になる。

 グリッドマンは基本的にはこの構造を描いた作品といえるのではないかと思っていて、それが現れているのが内海の「話し合いなんていいからグリッドマンと怪獣が見たい」という態度。この回において、六花はギリギリまでアカネとの話し合いを考えますが、内海は早々にその道を諦めグリッドマンによる解決を望みます。なぜならここでのアカネとの話し合いはアカネの内面に関わる、極めて個人的な問題だから。内海は他人の事情を考えることを嫌い、「グリッドマンが怪獣を倒す」という理想的な展開が見れることをジャンクの画面越しに求めます。それはちょうどテレビの前の視聴者が内面のドロドロした人間模様より、理想のヒーローが敵を倒す物語を求めたように。

グリッドマンは私たちが求めた理想のヒーローだ。それは悠太=グリッドマンであるという構造上、中の人の内面や事情といったものが存在しないから。エヴァのシンジのように周りに戦うことを求められた時、戦いたくないとぐずったりしない。戦えといわれたら戦うし、怪我を周りが心配して戦うなと言ったって戦うだろう。エヴァでの、シンジに「お前の事情なんて知らんから戦え」って言う周囲が私たちや内海って感じですね。

じゃあグリッドマンはそうした理想のヒーローが主人公の物語なのかと言われたら、そうではないと自分は思っています。「どうでもいい」話の最中に失礼したアレクシスがアカネに怪獣を作ることを求めた時、アカネは自分がもう怪獣を作らないことを伝えたシーンがあります。このとき確かに、立場こそ違えどアレクシスは私たち自身であり、それを個人的な事情から断るアカネはシンジタイプの主人公に見えました。人々が創作から追い出した主人公、そして社会から追い出した他人はこんな所にいた。グリッドマンは理想の主人公が、かつての主人公を救い出す物語でもあるように感じました。

 

2.他人の事情を考えず理想を求める心=「怪獣」と「友達」

私たちはシンジタイプの内面の傷を訴える等身大の主人公よりも、グリッドマンのような理想的な主人公を求めてきた。テレビの前という対象とは隔てられた場所から、「こうあるべき」という理想の姿を求めてきた。そしてその態度はそのまま現実での他人に向ける態度でもある。アカネは自分の理想から外れた人々を怪獣を使って消していました。ここで怪獣は単なる手段ではなく、それ自身が他人に理想を求めるアカネの心を反映しています。

「怪獣は人の気持ちを読んだりしないから。君は私を探してたでしょ?怪獣はね、人に都合を合わせたりしないよ。いるだけで人の日常を奪ってくれる。それが怪獣」

 怪獣は人の事情を考えず現れる。そして現れれば必ず主人公に、グリッドマンになって戦う理想の姿を求める。その意味で、事情を考えず他人に理想を求めるアカネや内海や私たちの心と、怪獣という存在には何の違いもない。

「怪獣が暴れれば多くの人が犠牲になる…でも俺は…怪獣とグリッドマンの戦いを楽しんでいたのかもしれない…俺だって最低だ。」

つまり、怪獣はアカネの悪意のようなものと作中で言われてはいたが、私たち一人ひとりの心の中にも確かに存在するのだ。だからこそアレクシスはいつでも「次のアカネ君」を探すことができる。

心の中に怪獣を持つ人々が作る世の中はどんな世界になるだろうか。きっと誰もが他人の事情を考えず、一歩離れた立ち位置から客観的に「あるべき姿」を規定しあうような世の中だ。理想から外れた者は失敗作として捨て去られ、誰もその内面を持った「個人」を思い出すことがない。アカネの他人に対する態度は必然的にこうした世界観を構成し、その中にいる自分にさえ牙を剝く。ここでは人々は「あるべき姿」に沿って行動することで世界における自身の居場所を確保するが、その実その場所は一つの失敗や敗北によって簡単に崩壊してしまうような脆いものだ。

 心の中に巣食う怪獣に対し、私たちはどう対処すればいいのか?そのヒントが作中でも度々示されたように「相手の気持ちを思いやること」にあると考えます。

「あいつ絶対なんか隠してるよね」

「何でも悪いほうに捉えるなよー。言えないってことは、言わないってことを六花なりに考えたんだよ」

「よくそんな風に考えられんね」

「まぁ友達だし」

「友達...」

「そう」

 ここのはっすの考え方は怪獣のそれとは正反対のものになっている。怪獣とは人の事情を考えず理想的であることを求める存在だった。それに対し、人のそばに寄り添いその気持ちを汲み取ってあげられる存在が「友達」。注目すべきは、怪獣はそれ単体でも成立するが、友達はかならず他者の存在を必要とする点だ。なぜなら、ここで求められるのは空虚な理想の姿ではなく、内側にさまざまな問題を抱えた一人の人間であるからだ。

「私はここで取り返しのつかないことばかりをした・・・」
「知ってる」
「私は、卑怯者なんだ・・・」
「知ってる」
「私は臆病で、ずるくて、弱虫で・・・」
「知ってる。アカネのことなら私は知ってるから」

怪獣は理想というガワを求めるが、その内側には何もなく、本当の意味で他者を求めているわけではない。一方友達は、周りに規定されたようなあり方ではなく、自分の個人的な思いを持つ他者を必要とする。

 

3.まとめ

 主人公(他者)のあり方を「理想的な人間」と「内面に傷を持つ人間」という二つのタイプに分類し、そのうちどちらのあり方を求めるかで「怪獣」と「友達」という存在を定義できる。これまでの話をまとめると以上のようになります。また最終回、アレクシスの「限りない命」は人類全ての理想のメタファーのように感じました。よってそれを倒したことは「そんなものは存在しないから現実を見ろ」という悲観的な意味ではなく、「それより良いものが現実に必ずある」という希望を持った結末になる。

私たちは誰もが幼いころ見たヒーローを自分の理想として追いかけ、それに挫折したことだろう。社会に出れば、他人の理想としての自分であることを要求され、自分自身の夢を忘れることと引き換えに世間での居場所を得る。しかし本当の自分はそんな傷を含めて見てくれるような友達との関係の中にあるものだ。SSSS.GRIDMANは残酷なまでに本当の人間の弱さを描写しておいて、それでも友達とのつながりとその可能性を示すことで希望をもって物語を締める。

ニセモノみたいな思い出に
「昔は良かった」って指を差す
虚しいだけと知りながら
悟ったフリ 見て見ぬフリで傷を隠してく
ヒーローになれやしないんだって
主人公は誰かやるでしょって
知らぬ間に諦めたりしないでよ

opの二番の歌詞がそれを良く表している気がします。個人的にもここの歌詞すごい好きなんですよね。特撮版の第33話「もうひとりの武史」見るとさらに良く思えるのでオススメです。

 

 

考察みたいなのは以上になります。

グリッドマンを自分が見たきっかけはたまたまテレビ付けてたら第5話がやっていたからなんですが本当に良いアニメでしたね。アンチとかボラーとか良いキャラも多いですしそれぞれに良い関係性があって良いアニメって感じでした。ヴィットさんはしかしそれだけに語りたいことが多くなりますし、作中にあるモチーフの意味を全部考えようとすると本当にいつまででも考え終わらないような感じになっちゃいました。今回これを書いたことで一応自分の中で色々と整理して納得することができたので良かったかなと思います。他の方の考察も面白いのが多いのでもっと色々な人の感想見てみたいです。

今回のブログの更新fgo三章だと思った人はすいません。三章もめっちゃ面白かったですね~。模範的fgoキッズなので常にfateのことは考えてはいるんですよ。ただグリッドマンが「君の使命(そつろん)を果たすんだ」って言ってくるので。今インスタンス・アブリアクションしたらきっとグリッドマン倒せる。