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ツイッターで処理できなかった駄文

fgo 考察と二部二章感想。

めっちゃ久しぶりの更新ですね。

みなさんもうクリアしましたか?fgo二部二章ゲッテルデメルング。自分はつい昨日クリアしたんですけど、めっちゃ良かったですね。すごい面白いっていうのとは違くて、いやもちろん面白いんですけど、それよりすごい良かったっていう感想がぴったりくるような章だったと思います。

 

まあ本当は良かったっていう感想だけでいいんですけど、気持ち悪い考察まがいのことをするのが自分の趣味なんで今回もやっちゃいます。

 

今回の章で描かれたテーマは「愛」そして「依存と自立」。

ただこれはこの章だけじゃなくて基本どの型月作品にもあるテーマなんですよね。

 

1.二つの神

頭がおかしいのでしょっぱなから関係ない考察します。

型月世界では神は二つに分けられます。このことを語っているのがextra cccのギルとfgo1部7章のキングゥです。

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神というのものは二種類ある。元からあったものが神になったものと、神として生まれ変わったものだ。メソポタミアにおける神は前者にあたる。自然現象が意思、人格を持ったもの。それが古代の神々だ。我はその古代の神と人の王から作られた。古代の神と現代の神、その中間だな。

この神の分け方なんですが、多分一般に言われる母権宗教と父権宗教のことを言ってる気がします。言っちゃえば地母神信仰とキリスト教ですね。キリスト教で「母なる神」とは言いませんけど「主よ」とか「父なる神」とはいいますよね。聖母信仰ならあってそれが母権宗教の名残とも言えますが。この辺は事件簿でも触れられてましたね。

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この考え方はバッハオーフェンが提唱した母権社会から父権社会って考え方の延長にあります。ユングのグレートマザーって概念がありますがその基となる概念を提唱したのがこの人です。グレートマザーはいずれ対決し倒すことで自立しなければならない母親のイメージとされていますが、型月の百獣母胎はここから取ったんじゃないかなと思っています。

この大地に生まれたものは、母なる神の権能には逆らえない。 
それは生命のシステムそのものに反逆する事だからだ。 
しかし大地を離れ、宇宙を目指し、知性体としての幼年期を 
終えた時こそ、この権能が打ち破れる事だろう。

 

チャタル・ヒュユクの願いは、その日が訪れる事にある。

そしてこの母権主教と父権宗教の間には大きな違いがあります。それが円環的世界観と直線的世界観です。円環的世界観は百獣母胎の生と死の円環の説明通りです。

地母神は人々によって崇められ、 
それらを加護する守護神であると同時に、 
その身から生まれ出る穀物や作物、野や森の獣によって 
人々を養う犠牲そのものでもある。

 

地母神は自らの血肉によって人を養い、 
そして時を経ればその人を殺して自らの糧として己の血肉を 
回復し、またその回復した血肉で人を養う。

 

この過程は食物連鎖の円環そのものでもあり、 
この生と死の循環こそが大地母神の本質と言っていい。 
ほとんどの女神はこの権能で、 
無数の怪物や巨人を生んで神々や人の脅威となり、 
あるいは英雄を生み、それから人々を守った。

 

その代表例は、脅威となったならばティアマットやガイア、 
英雄の母ならばヘラである。

 人は古来から神に供物を捧げることで豊穣を願ってきました。中には人身御供という風習さえありましたが、この生と死のサイクルこそが円環的世界観です。

対してキリスト教では人身御供の風習はありません。その代わりにあるのが黙示録に記されるような終末論です。概要としては歴史の最後にキリストが再臨して最後の審判が行われるよって考え方です。

円環的世界観と直線的世界観の最大の違いは、終わりがあるかないかです。同じところをぐるぐるとまわる世界と、終わりを目指す世界という違い。

 

2.型月における二つの神の対立

母権宗教ー円環的世界観、父権宗教ー直線的世界観という関係を見てきましたが、個人的にfateではこの二つの宗教が対立した場面があったと感じています。

その一つがアポクリファにおけるアタランテとジャンヌの対立です。ジャンヌはもちろんキリスト教徒として、アタランテはアルテミス=地母神に育てられた背景を持つため、母権宗教の信仰者としてとらえることができます。

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対立のきっかけとなったのはジャックですが、母親を求める子供を救ってやるべきだという母権宗教と、社会通念的に悪であるものを許さない父権宗教の違いが出てたと思います。そもそもfgo7章でキングゥが言っていたように、地母神に善悪の基準はないんですよね。キングゥはそれをロジックエラーだと言っていましたが、善悪含めて受け入れることのできる母親の包容力ともいえます。

そしてもう一つがfgoにおけるゲーティアとソロモンの対立です。

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「神は人を戒めるもの」として語るソロモンは、当たり前ですがユダヤ教キリスト教をはじめとした教義としての神の信仰者です。おかしいのはゲーティアです。ぶっちゃけ、神から与えられた指輪によって使役できるようになったのがゲーティアなのに、同じ神を信仰していないってどういうこと?っていうもっともな指摘があると思うんですけど。。。

ただ、6章で師子王は、第七特異点で待ち受けるものこそが魔術王の絶対の自信だといってましたよね。普通、自分にとって異教の神であるものにそこまでの信頼がおけますか?挙句カルデアに撃破されちゃってこの態度です。

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急にテンション下がったレフ

終章やった人ならわかると思うんですがゲーティアは「終わり」を相当嫌悪していました。そのことから考えても、終わりのない母権宗教=円環的世界を信仰してたんじゃないかと思います。

 3.母権社会から父権社会

バッハオーフェンが提唱したことに沿えば、人類の歴史的に母権社会から父権社会へという移り変わりがありました。これはそのまま母権宗教から父権宗教への移り変わりでもあります。型月の多くの作品でこれをモチーフとした物語構造が見られます。

このとき、母権宗教における円環的世界観を「同じようなことを繰り返す世界」とすれば、これを「日常」という言葉で言い換えることができます。

これまで、HAにおける四日間、小川マンションにおける一日が「日常」とされ、また桜が「日常」の象徴とされてきました。

「貴方はずっと遊んでいたかった。隙間なんて埋めたくなかった。自分が無に戻ると分かっていたから。
なのに日常を回し続けたのは、貴方にとって」

わかんないヤツだな。
飽きたんだってば、そういうのは。

 アンリが何故日常を回すことができるのか?それはアンリがもとは人身御供であった英霊だから。彼という死があるからこそ、母権宗教における生と死の円環を回すことができたのではないか。

ほんの少し―ほんの少しだけこの輪が狂ってくれたのなら、いつか、臙条巴が母に殺される事もなく、母を殺す事もない日常が生まれただろう。
だがそれも不可能な話か。ズレた輪は、二度と同じ所を回りはしない。死者は死者として終わる事を前提にしなければ、この日常は回ってくれなかったのだ。

 始点と終点が同一でなければ同じところを回り続けることはできない。だから「この螺旋が矛盾していればよかったのに」ってことかなと思います。

そして物語は人類の歴史と同様に母権宗教→父権宗教という展開が示されます。これは読み進めることで物語が必然的に終わりへと向かう構造と合わさって父権宗教的な終末論を肯定します。HAが一番ここを意識してる気がしますね。

役割として当てはめるなら、人類として士郎や巴があり、地母神として桜や巴の母があり、キリストとしてセイバーや式があるんじゃないかと。特に式なんかは一度荒耶に幽閉されて、最後にキリストよろしく再臨してますしね。ここでキリストとしての役割に求められることは、倒すべき悪を示して一緒に戦うことって感じにとらえてます。

 

4.依存と自立

ここで唐突に話を二部二章に戻します。

この話を読んで、「愛」と「依存」が切り離せない関係にあるんじゃないかと思いました。今回明らかに「依存」という関係にあったのがキリシュタリア←オフェリア、スカディ←集落の人間の二つ。後者は神代における人と神の関係そのものなので、大人の間引きは神への供物ととらえることもできます。

オフェリアのように「他者に自分を捧げること」を依存とするなら、人身御供は神への依存ととれます。

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 空の境界において、自分自身の死と引き換えに日常を回していた巴は、地母神としての母親を殺すことでその依存関係から抜け出しました。その先で式と会うわけですが、そこでも巴は式に依存しようとします。

「――おまえの為に死んだほうが、よっぽど本物らしくていい」

「お断りだ。おまえの命なんて、いらない」

 このような依存の形がある一方で、そこから脱出するにはどうすればいいか。一番簡単な方法が依存先を殺すことです。それをしようとしたのが式であり、ブリュンヒルデなんだと思います。その相手がいるだけで自分は依存しないと生きていけない状態になってしまう、だから相手を殺す。この理論の中では、殺人は究極の愛情表現と化します。

そして相手を殺したとき、先の依存関係は完全に反転してしまう。

ここがオフェリアがブリュンヒルデを強いと感じた点。現実にどのような障害があっても乗り越えて成就させてしまうほどの強さが自分の想いにはないと分かっていた。

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恋は現実の前に折れ、現実は愛の前に歪み、愛は、恋の前では無力になる。

 オフェリアは現実に想いをくじかれることが怖かった。そうなるくらいなら、自分の可能性を殺すことで、ユメを見ていられる変わらぬ日常を回すことを選んでしまった。そしてそれは、未来の可能性である大人たちを供物とし、神代という揺籃にとどまっていた集落の子供たちの姿に重なります。

……わたしはただ新しい物が見たかった。
かつての人格が彼女の蘇生を願ったように、わたしは、一つでも多くの日常を知りたかった。
それが自らをわたしに戻すとしても。十秒後の死を知りながら、一秒後の光を求めたのだ。
――さあ、終わりの続きを見に行こう。

 hollowにおけるアンリマユのセリフ。最後一応しめるために入れました。

今思ったけど依存が恋でその反転が愛ってした方が三竦み的にもぴったり

 

fate grand order -cosmos in the lostbelt-  完~

 

って感じなんですけどまだ二章なんですよねこれ。

これからの章もめっちゃ楽しみです。とりあえずスカディ引きたい。

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